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代表取締役 髙城和幸
弊社のホームページにお越し頂きまして心から感謝申し上げます。
私たちは、皆さんに喜んでいただける「お世話役に徹する」ことをモットーに
お客様と職人の意思疎通を行い「あんたに頼んで良かった」の笑顔を頂くために日々お役立ち活動に邁進します。

おかげさまで“福岡”で90年!

親子四代で住まいのお手伝いをさせていただいてます。

想いを形に工房です。

 

弊社のホームページにお越し頂きまして心から感謝申し上げます。

 

「大工さんがいなくて困っちゃった…」

「建ててくれた会社がなくなった…」

「家のこと、誰に相談すればいいの…」

 

このようなことでお悩みではありませんか?

 

はじめまして。

想いを形に工房の髙城和幸と申します。

1969年に生まれて、福岡で育ちました。

 

コロナ禍。

緊急事態宣言。

私たちの世界観が大きく変化しました。

 

そんな混沌とする2021年。

 

私、そして妻が事務を務める小さな会社。

長い付き合いの職人さんたちに協力してもらい成り立っています。

そんな私たち想いを形に大きな出来事がありました。

 

長男が入社したいというのです。

 

なぜ、こんな小さな会社に長男に入ってくるのか?

もっと華やかな仕事が沢山あるのに…

 

仕事とはその人の人生において重要な選択です。

父親として、

経営者として、

彼の受け入れを真剣に考えました。

 

そして、運命を感じました。

蛙の子は蛙なのかもしれません。

大工の祖父。

水まわりと住まいの専門家だった父。

そして、私、長男、次男。

親子四代、家づくりに携わるのは天命なのかもしれません。

 

社会には、もっと彼が活躍できる会社があるのではないか?と思う反面。

父親である私が経営する会社の一員になることに、少し誇りを感じています。

親バカでしょうか?

 

 

 

頑固な父から離れたくて家を出て…

 

祖父は大工。

父は住宅設備の職人。

頑固でいつも厳しかった父。母はパートで働きながら家計を支えていました。

 

私は3人姉弟。

真面目な長姉。

天真爛漫な次姉。

そんな姉たちの後を追いかけながら私は育ちました。

小学校に入るまでは楽しかったのを記憶しています。

 

中学生になる頃には、早く家を離れたくて仕方がありませんでした。

理由は父が厳しかったからです。

 

私は18歳で、京都の大きな呉服屋に就職しました。

厳しい父親から離れたくて、家から逃げるようにして京都で暮らし始めました。

今考えると甘えていたということでしょう。

 

呉服屋での仕事は楽しいものでした。そして、人生は不思議なものです。

そこで、私の人生を辛抱強く支え続ける妻と出会うのです。

それは、妻と私の山あり谷ありのジェットコースターのような人生の始まりでもありました。

私は、妻と結婚していなければ、この後に起きる数度の挫折を乗り越えることはできなかったでしょう。

 

まだ、一度も彼女を目の前にして感謝を伝えたことがありません。

この場を借りて、ずっと支え続けててくれたことに「ありがとう」。

 

 

世間知らずの私を妻が支え…

父の背中を見て仕事を憶えた。

 

若くてヤンチャだった私。私が転職を繰り返す中、妻は3人の子育てをしました。女性というのは肝っ玉が据わっています。私というボロ舟が人生の荒波を乗り越えられたのは、妻の献身的な協力と未来を信じる心があったからです。

 

その後26歳で福岡に戻ります。

そして、あの頑固で厳しかった父に弟子入りします。そこで、住宅設備、水道設備の仕事をしっかり学びました。

 

父に弟子入りして驚いたことがあります。それは、家庭の中で見せる父親の顔ではなく、仕事場での親方としての顔でした。父は、弟子に仕事を教えるときは、丁寧で優しいのです。また、職人仲間から尊敬される存在で、慕われていました。家庭では一切見せない顔でした。

 

そして、父から教わった住まいにかかわる技術。そして、お客様に対するプロとしての係わりが、今の想いを形に工房に続いていきます。

 

60人のスタッフが“0人”になった日!

 

父から一通り仕事を教えてもらった私は、30歳とまだ若く、野心に燃えていました。独立して自分の会社を持ちたいと考えるようになりました。そして、私はビジネスチャンスを得て、一部上場企業の代理店として独立するのです。

 

2010年頃、私は会社を経営し60人ほどのスタッフ(アルバイト含む)を雇用していました。小さくても十分に利益が出る優良企業に育っていました。ところが2011年の東日本大震災。日本を代表する通信コミュニケーション会社の下請けをしていた私の会社は、親会社からの一方的な条件変更を命じられました。変更された条件の詳細はお伝えできませんが、3月11日よりゴールデンウィークまで、約2か月間の営業停止が言い渡されたのです。

 

営業ができなければ売上は見込めません。

コロナ禍による緊急事態宣言下には、大きな助成金が企業に配られました。しかし、当時、そのような助成金制度などはなかったのです。

 

 

取引条件の一方的な押し付けに、私の経営する小さな会社は存続することが難しくなっていきます。

社員が少しずつ離職していきます。

「離れていく社員の生活は大丈夫なのか?」

「自分たちの努力では乗り越えられない…」

「大手の下請けは安定していると思っていたけれど大きなリスクが隠れている」

当時、私はそんなことばかり考えていました。

 

そして、すべての社員を失うことになりました。

私は最後の一人の社員の退職を見送り、一度、会社を清算することにしました。

 

私は会社を清算したことに落ち込みました。辛かった時期です。

ですが、3人の子育てをしながら見守ってくれた妻は、愚痴の一つも言わず私を信じ続けてくれました。

 

 

捨てる神あれば拾う神あり。

 

しかし、私には落ち込んでいる時間はありませんでした。

家族を食べさせるために、仕事をするしかありません。

 

そんなとき、「髙城さん、飲食店を整骨院に改修する工事やってくれないかな?」と依頼がありました。

「私に責任を負える仕事なのだろうか?」、一瞬、私は怯みました。それでも、妻にラクをさせるチャンスになるかもと思い、現場を見に行ったのです。そして、私に任せてもらえる仕事を確認して、請け負うことにしたのです。そうです。父に弟子入りしていた経験が、ここで活かされたのです。

 

私は、任された現場をしっかり引き渡しました。このようにして信頼を得た私は、和やか株式会社を創立したのです。今では妻が経理、長男が入社、間もなく次男も手伝ってくれることになったのです。

 

和やかなリフォーム

 

読んで字のごとく。和やかな生活につながるリフォームを提供するのが私たち想いを形に工房です。

 

私が幼かった頃の父のように、仕事でストレスを抱えることもあるでしょう。それでも家に帰れば和やかになれるリフォームをすることが我が社のモットーです。

 

私たち想いを形に工房に大切にしていることがあります。

  • 四代続く住まいの仕事をする誇りとして、10年後、20年後にお客様からリピートして頂けるリフォームをします
  • お客様のご要望を尊重します。それでも、お客様が後悔してしまう工事はお断りします
  • お客様がリフォームをした価値は、リフォーム後に実感します。だからこそ、私たちは、アフターフォローを最高のサービスとして、提供するOB様第一主義の会社を目指しています

 

 

「大工さんがいなくて困っちゃった…」

「建ててくれた会社がなくなった…」

「家のこと、誰に相談すればいいの…」

このような住まいについてのご相談はお気軽にご連絡ください。

 

外壁、屋根の塗装。

水まわりリフォーム。

玄関リフォーム。

内装リフォーム。

省エネリフォーム。

店舗改修。

 

福岡県で四代続く、和やか株式会社にぜひご相談ください。

お見積り、ご相談はもちろん無料です。

 

 
想いを形に工房  高城和幸

屋号 想いを形に工房
所在地 〒815-0001 福岡市南区五十川2-29-7 フローレスマンション1階
電話

092‐558-9855

FAX 092-558-9850
運営会社 和やか株式会社
従業員数 4人(2022年1月現在)(経営者、妻、長男、次男の血の濃い家族経営です)
代表者
髙城 和幸
創業 2002年10月
設立 2020年9月1日
営業時間 9時~19時 年末年始、お盆、ゴールデンウイーク
業種

屋根塗装・外壁塗装、リフォーム、リノベーション、不動産売買、賃貸案内、

テナント案内、